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芹沢一也監修、すが秀美、橋本努、鈴木謙介、荻上チキ著

『革命待望! 1968年がくれる未来』

ポプラ社、2009年4月刊行

 

 

第一章 全共闘とあしたのジョー  橋本努

 

 

はじめに:丸山眞男をひっぱたきたい

 

2007年に雑誌『論座』をにぎわした格差社会論争で、夜のコンビニで働きながら文筆業をめざす赤木智弘さんが「希望は戦争」だとか「丸山眞男をひっぱたきたい」といった挑発的な主張をされて話題となりました。赤木さんの一連の発言は、彼がどんな心境を表したかったのかという問題とは別に、時代の空気をよくつかんでいたのではないか。世の中には、「希望は戦争」とか「知識人をひっぱたきたい」と思っているプレカリアート(不安定な低賃金労働者)がいて、その人たちの憤懣を、赤木さんは代弁していたと思うのです。「私たちがいいたかったことを、よく本音でいってくれた」と感じた読者も、きっと多いのではないでしょうか。

格差社会といわれる現代日本は、人生のスタート地点からして不平等なのであって、これは戦争によって一度すべてをリセットするしかない。リセットして、これまでチャンスをあたえられていなかった底辺の人びとにも、地位をのしあがるチャンスをあたえなければならない。戦争で死にたくはないけれども、地位が大きく流動化する社会は大歓迎だ。これが「希望は戦争」のメッセージです。

こうした願望は、裏を返せば、戦争を通じてしか格差社会をぶち壊す方法はない、ということでしょう。それほどまでに現代の格差社会は、閉塞的だということです。閉塞感の根本は、なんといっても「学歴社会」です。学歴がなければ、競争で社会の上層にのしあがるための、スタート地点に立つことすらできない。このことは、ホリエモンが東大生だった(ただし中退)ということと無縁ではありません。つまり、格差社会というのは、学歴社会であって、学歴が再生産され、固定化されているところに問題がある。

こうなると世の中には、学歴コンプレックスが広がっていく。人びとは誰しも、ひとつ上の学歴をもった人をねたむもので、そのねたみがそれら学歴の高い人に投影されると、学歴社会のトップを代弁しているエリート知識人たちの発言は、ひどく権威主義的にみえるわけです。だから知識人文化などつぶしてしまえばいい、という憤懣が人びとのあいだに蔓延する。現代の知識人たちが、サブカルチャーについてますます論じるようになっているのは、できるだけ権威主義的にみえることを避けるという背景があるのかもしれません。

 「希望は戦争」と「丸山眞男をひっぱたきたい」という赤木氏の発言は、こうした時代状況と呼応しているようにみえます。そしてじつは、このふたつの発言に代表される現代の若者たちの感性は、いまから40年前の、1968年の若者たちにも共有されていた面がある。現代の閉塞感は、約40年前の1968年の状況と似ているところがあると思います。

1968年前後には、「戦争」にかぎりなく近い「学園闘争(とくに東大安田講堂事件)」と「内ゲバリンチ(とくに連合赤軍によるあさま山荘事件)」があって、若者は本気で「ミリタリー(軍事的)な行動」に希望をかけていました。帝国主義と資本主義の考えかたに染まった国家を、闘争によって変革しようとしたのです。

また、「丸山眞男をひっぱたきたい」という赤木氏の発言で、私はすぐに、1968年当時の女学生、柏崎千枝子さんのことを思い出しました。柏崎さんは、当時、暴力を辞さずに闘った全共闘の学生活動家で、「ゲバルト・ローザ」と呼ばれていました。ゲバルトとは暴力のことで、ローザとはマルクス主義の革命家、ローザ・ルクセンブルクのことです。ローザ・ルクセンブルク自身も「ゲバルト・ローザ」と呼ばれたようですが、柏崎さんもまた、ローザのように熱い活動家として、マスコミでもずいぶん注目されています。また一方で、当時、丸山眞男は学生活動家たちによって吊し上げに近い批判を受けます。それで丸山は、「全共闘の学生はファシストよりもひどい」というようなことを述べ、以降、学園闘争をめぐる当時の社会問題については沈黙を通すことになります。

 柏崎千枝子さんは当時、『太陽と嵐と自由を ゲバルト・ローザ闘争の手記』(1969年6月25日、ノーベル書房より刊行)を著しています。この本は、刊行と同時に出版社が倒産し、書店にはほとんどならばなかったようですが、1968年から1969年にかけての活動の様子を、生々しく伝えています。この本の最初に、多数の写真が載っていて、それがまずおもしろい。写真をみるかぎり、彼女は非常におっとりしているようすで、ぽっちゃり型で、かわいくて、ぜんぜん革命家にはみえない女学生です。また、当時の全共闘代表の山本義隆さんが、彼女と照れながら談笑している写真があって、それがとても印象的でほほえましい。その山本義隆さんは、同書に「序」を寄せて、次のように書いています。

 

……「暴力反対」などというふやけた「良識」は思想の馴合いと自己欺瞞の即自的表現でしかない。彼女は何よりもこのような欺瞞と安逸を許さない。従って彼女は教授や一般学生や民青に対してと同程度かそれ以上に私たち全共闘の人間に厳しかったし、多分己れに対してはそれ以上であるのだろう。

 

 柏崎さんは、とても芯の強い女性だったようで、1962年に東大に入学し、博士課程に進学するまでは「極めてよく勉強」した、と自らふりかえっています。けれども、1年以上にわたる東大闘争を経験して、自分のなかの「プチブル」「東大生」「優等生」を、根本的に否定するようになる。「真に労働者階級を中心とする人民のひとりとして、自分の一生を革命運動に賭けているかどうかという深刻な問題にぶつかった」というのです。

学部生の柏崎さんは、「聖書研究会」や「オーケストラ」に所属していました。いわゆるよい子系の学生生活をエンジョイしていたのですが、けれどもこうした活動では「自己変革への願望」が満たされず、他の活動家たちと同様に、マルクスの『資本論』やレーニンの『帝国主義論』『国家と革命』、あるいはトロツキーの『ロシア革命史』全6巻、ジョン・リードの『世界をゆるがした十日間』全2巻などを読みふけるようになります。

 じつは彼女は、大学2年次から3年次にかけて、「聖書研究会」の先輩に片思いをしていました。その彼が3年生になって、教養課程のある駒場キャンパスから本郷キャンパスに移り、なかなか会えなくなってから、ますます彼女の恋愛感情はふくらんでいきます。そこで彼女は、思いきって自分の気もちをうちあける手紙を送りました。1週間後、返事が届き、彼にはすでに婚約者がいることを知ります。それでもあきらめられない柏崎さんは、半年後に、2度目の手紙をだすのですが、おなじ返事をもらい、たいへんな絶望にさいなまれます。なにをやっても身が入らず、渋谷のクラシック音楽の喫茶店「ライオン」で、バッハやベートーベンを聴いては、涙を流すような生活を送っていたという。そうした生活のなかで、柏崎さんは、それまでの「優等生」的な自分からは考えもつかなかった、「もうひとりの自分」を知って、絶望する。強いと思っていた自分が、いかに弱く、自堕落であるか、ということを思い知らされるのです。

 彼女は結局、そのときに親身になって相談の相手になってくれた人と、結婚することになります。ですが彼女の両親は、結婚のことも、大学院進学のことも、革命運動のことも、大反対です。彼女は、親の理想とする「良妻賢母」の像とは離れた方向に、人生を歩みはじめていたからです。両親は、「大学をでたら、生活や地位が安定している人と結婚し、親を安心させてほしい」と願います。けれども千枝子さんは、すでに成人した自分の生きかたに干渉してくる両親にがまんできず、「自分の生きかたは自分で決める」といって、親と毎日激しくぶつかりあいます。

そうこうしているうちに、大学院進学ということになり、柏崎さんは、ロシア革命やポーランド革命について研究をはじめます。ところが研究を続けているうちに、なやみは深まります。自分がどんなに、ベトナムやキューバやロシアやポーランドを研究しても、現場で生命を賭けて闘っている人たちには、とうていおよばない。こうして本を読んでいるうちに、人びとが死んでいくのだから、「私は彼らに対してぬぐうことのできない犯罪を犯しているのではないか」という罪の意識にさいなまれます。

1967年10月8日、佐藤栄作首相のベトナム訪問を阻止しようと学生たちが運動をくりひろげ、京大生の山崎博昭君が、英雄的な死を遂げます。そのとき彼女は、次のように思った、と述べています。「山崎君を殺したのは、国家権力でもなんでもない。生命を賭けてベトナム人民と連帯しようとした人間を傍観していたおまえ自身が彼を殺したのだ」と。

 

 

熱気のなかで人生を考える(抄)

 

こうした感情は、いわば「ラディカルな良心の声」から生じたものでしょう。柏崎さんは、「この世界を救うために、自分にはなにができるのか」という大問題に、真摯になやみます。そしてこの大問題を自ら背負いこみ、最善の応答をあたえようと懸命になります。それでもうまく応じることのできない自分を責めるのです。「私の生いたちと闘争へのかかわりあいは、常に問題をつきつめることなく、自分や他人をごまかしぬいて生きてきた、極めて恥多く、欺瞞に満ちた犯罪的なものでしかなかった」。ところが、ごまかしを重ね、いい加減な生活を送ってきた人間が、闘争のなかで、ようやく「真の人間性」に目覚めたという。その経験が、彼女の手記に生々しくつづられています。

 この手記を読んで私が感じるのは、とにかく「熱気」です。熱気を帯びた闘争生活というものがあり、熱気のなかで「自分とはなにか」「社会とはなにか」「人間とはなにか」といった根本的なテーマについて、本質的な思考がめぐらされている。純真な良心の声に従って、「自分は本当は、なにがしたいのか、なにをすべきなのか」という問いに応ずべく、闘争に身を投げだしていく。そんな彼女の生きかたには、すがすがしい輝きがあります。学園闘争に巻き込まれていくなかで、純真な生きかたが可能になっている。そこには、恋愛、社会問題、社会運動、思想、読書、実存、熱気等々、青春のすべてが濃縮されている。そのことに、私はうらやましさを感じるのです。私の青春時代は、ちょうどバブル経済の時期(1980年代の終わりから1990年代の初頭)だったのですが、そこにはジュリアナ東京に代表されるようなイケイケ・ムードの「熱気」はありましたが、人生の実存的な問題になやむという「熱気」は、ほとんどありませんでした。(以下省略)

 

 

若者たちの自由主義革命――全共闘運動の時代(省略)

 

 

大学生たちが求めた自由(省略)

 

 

60年代後半の若者たちの課題(省略)

 

 

自己否定度チェック!(省略)

 

 

あしたのジョーの溶解志向(省略)

 

 

自由は「小さな幸せ」に負ける(抄)

(省略)

しかし、マルクスのもうひとつの理想というのは、全知に対置される「全能」ですね。資本主義社会の下では、多くの人びとは疎外されて生きている。人と人との豊かな関係性を失って、ただ貨幣を媒介にしてつながっているにすぎない。しかも多くの労働者たちは、やりがいのない単純な労働をしていて、自分の能力を試したり実現するような機会が少ない。長い時間、疎外された労働に苦しめられている。これでは人間として生きる意味がないのであって、マルクスは、人びとが自身の潜在能力を充分に発揮できるような社会を展望していました。それはつまり、人間性の全面開花であり、いいかえれば、あらゆる潜在能力の実現です。もし私たちが、他の人びとから疎外されずに、自己の能力を最大限に活用できたら、それは幸せなことでしょう。マルクスはそういう「全能」の理想を抱いていました。

では私たちは、いかにして自分のなかの全能性というのを開花させていくのか。マルクスはいろいろなかたちで語っていますけれども、この全能の理想というものが、『あしたのジョー』でも描かれている。しかもその後の歴史のなかで、全能の理想はたびたび現れてくる。現在ではたとえば、アマルティア・センのケイパビリティ(潜在能力)・アプローチという考えかたがそれにあたります。ただしセンは、ケイパビリティの「アプローチ」について論じますけれど、その実質的な中身についてはあまり明確に語っていません。マルクス的にいえば、人間のあらゆるケイパビリティを開花させていくということが理想になるわけですが。

もちろんそのような全能性の理想は、ほとんど不可能です。そこで次善としてどんな理想をめざすべきか、という話になります。「全能」の実現は不可能だとして、この理想にどうやって最も近づくか。それが問題になります。

60年代においては、この「全能」の問題に、「燃焼としての自由」が応じていました。人間、老いればしだいに潜在能力を発揮することが少なくなる。ならば青春という最もよい時期に、自分の潜在能力を羽ばたかせるべきだ。そのためにはどこかで自分の「底力」をださなければならない。では底力とはなにか。それは緊急事態において発揮される能力であり、燃え尽きるほどの闘争的な活動からでてくるものであります。68年当時の学園闘争は、その意味で、人間の潜在能力を開花させるための絶好の機会であったといえる。闘いにおいて燃え尽きる。自分の能力の可能性をすべてだしきってみる。そういう生きかたが可能になっていたわけですね。

たとえ時代をかえることができないとしても、矢吹丈のように、あるいは全共闘の学生のように、闘いにおいて燃え尽きる。そんな生存の美学が、1968年という時代にあった。それはマルクス的な「全能」の理想でもあったのです。

 では私たちは、この時代からどんな教訓を得るべきでしょうか。「生存の美学」対「資本主義システム」という構図のなかで、「生存の美学」を選んだのが全共闘の学生たちですが、けれども燃え尽きた後に、多くの学生たちは資本主義のなかに巻き込まれていきます。若いときは「生存の美学」、そして就職したら「資本主義システム」。こういう人生経路そのものは、もしかすると現在でも、あまりかわらないかもしれません。問題はおそらく、青春が終わって30代の大人になったら、どんな生きかたをすべきか、ということでしょう。それは1968年の思想的課題を、現代の社会にどう活かしていくか、という問題でもあります。およそ資本主義システムが崩壊しないとして、このシステムのなかで、あるいはシステムの裏で、「全能性」の理想はどのように実現されるべきなのか。いいかえれば、「生存の美学」と「資本主義システム」は、どのように編まれるべきでしょうか。このふたつの緊張関係を、いかに生きるべきか。それを問うかぎりにおいて、私たちはマルクスの可能性を継承しているともいえます。逆説的ではありますが、マルクスの理想は、資本主義のなかで実現していくほかない。そのためのビジョンをいかに提起するかということが、現代思想において問われているのだと思います。

 

 

■文献

橋本努 「闘争する主体――全共闘から自由主義への思想的継承」『情況』(1999年4月号 39-58ページ)

――――「1968年革命と全能感希求 文芸的アイロニストから自由主義への継承」『重力』vol.2(作品社 2003年3月 112-128ページ)

――――『自由に生きるとはどういうことか――戦後日本社会論』(ちくま新書 2007年11月)

――――「対抗的創造主義を生きよ!」『思想地図』vol.2 (日本放送出版協会 2008年12月)